元ニートの自己満足、記録日記

日々の努力をただブログに記録するだけの自己満足日記です。

拓銀銀行マンは今

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北海道拓殖銀行が破綻してから17日で20年たったそうです。自分がまだ幼い頃の倒産なので、正直拓銀の印象は薄い。たぶん北海道では1番古い銀行だったんだろうけど、営業を北洋銀行へ譲渡。拓殖銀行が倒産して間もなく山一證券も倒産し、多くの銀行が廃業するという酷い金融危機だったんですね。その時に働いていた拓殖銀行マンを北海道新聞で取り上げられていました。

www.hokkaido-np.co.jp

拓殖銀行マンは今

1人は拓殖銀行を退職後は家業のスーパーに戻られたんですね。今は社長さんとしてバリバリ頑張られていることが取り上げられています。あまり聞いたことがないスーパーですが、たぶん地域密着型のお店なのでしょう。厚別区もそれなりに高齢化が進んでいるエリアなので、顧客獲得に高齢化者向けへシフトして何とか生き残りに奔走しているのとこと。 

札幌市厚別区の地場スーパー「ホクノー」社長の野地秀一さん(49)は16日夜、拓銀時代の上司ら15人と市内の飲食店に集まり談笑した。主な話題は健康のこと。「みんな年をとったということかな。もう20年ですか」としみじみ語った。

 1992年入行。東京の馬喰町支店を経て、商社などの依頼を受け為替取引をする国際部へ。多額の取引を手がける緊張感から、汗で手のひらの皮がむけた。「市場を相手にする仕事は厳しくも楽しかった」

 入行6年目の97年11月17日、千葉県内の寮のテレビで経営破綻を知った。「うそだろ」と言ったきり言葉が続かなかった。日々の資金繰りに苦労し、為替取引を断られるケースも出ていたが「国が拓銀を、銀行をつぶすわけがない」と信じていた。98年3月に退職し、家業のスーパーを継いだ。

2009年に社長に就任した。電子マネー導入や発注業務の集約など効率化に取り組んだが、人口減少や大型店進出で売上高はピークの00年に比べ4割減った。経営環境は厳しいが、今年は高齢者向けに300円で朝食を提供する食堂や、健康講座を行うスペースを店内に開設。「地場スーパーが住民自治の担い手にもなれないか」との考えからだ。

 枠にとらわれない発想は拓銀時代に学んだ。為替予想リポートに何とか目を通してもらおうと、競馬予想を載せ好評を得たのが原点だ。「破綻で北海道経済に大きな影響を与えたのは元行員として申し訳ない。でも拓銀にはビジネスの基礎を与えられた」。今も当時の人脈が取引につながることもある。苦しい時は「拓銀の破綻を経験したんだ」と自分を奮い立たせる。

 

 

 もう1人は北海道出身ではないけど、拓殖銀行の将来性に魅力を感じ、新卒で入行された方です。話を聞いていて驚いたのが、僅か数千円の入金のため40分もかけるという超非効率な経営をしていたこと。きめ細やかなことは重要だけど、それを追求しすぎですよね。話を聞いているとかなりの「お役所仕事」だったことが伺えます。経営という概念は度外視していたことが分かる。

新卒から入行して僅か4年目で破綻、それからフィリピンでたぶん現地採用として勤務されたのでしょう。その経験を活かし、国内のIT大手で活躍されているというかなり努力されたんでしょうね。当時に「現地採用」という言葉もない、海外就職は今以上に一般的ではないことを考えると勇気がいる選択ですよね。

東京都の西川洋次郎さん(46)は、資金調達を担当する札幌の資金証券部で破綻を迎えた。生まれ育ちは東京だが「地の利を生かし、ロシアの金融市場を開拓する」という採用担当者の説明に引かれ94年に入行。「拓銀には問題意識が全くなかった」と、古巣に厳しい。

 小樽支店勤務時、青果店への1億円の融資を「回収するべきだ」と言うと、上司に「人間の心がない」と責められた。後に、役員が支店勤務時代に開拓した取引先だと聞かされた。高齢の顧客に3千円の入金を頼まれれば、車で40分かけて訪ねた。「銀行の標語の『こまやかな おつきあい』が独り歩きし、コストは度外視。拓銀はある意味、いい人過ぎた」と振り返る。

 入行4年目で破綻した。通信機器メーカーを経て、つてもないままフィリピンへ。現地のIT企業などで4年間勤めた。「温室的で狭い世界に戻りたくない」と、拓銀を“反面教師”としてきた。現在は国内のIT大手で、海外企業向けのシステム開発事業を担い、国内外を飛び回る。

 苦い思い出も多いが「住宅ローンの借り換えでお客に感謝されたのはうれしかった」。ビジネスマンとしての原体験は、やはり拓銀にあると思っている。(報道センター 吉田隆久)

感想

当時まだ若手だった方々が紹介されていますが、ベテランだった方はもっと苦労されたんでしょう。景気が悪い時代だったし、拓殖銀行出身の人間を他の会社も雇いづらいだろうし、多くの方が苦労されたことは想像に難くない。 とにかくお役所仕事であったことに加えて、経営を広げようと北海道だけではなく、東京や大阪など本州にまで融資を広げていたことが不良債権を大きく増やした原因だったみたいです。不動産バブルだった当時に、そこに注力し一気に経営が傾いた。

この元若手銀行マン達も当時働いてた方々もまさか「拓殖銀行が倒産する」なんて想像していなかったでしょう。それって、今の僕の世代でも似たようたことが言える。まさかシャープが台湾企業になるなんて、東芝が今のような悲惨な状況に陥るなんて、サザエさんから消えるかもなんて全く想像できなかった。僕達が考える「安心感」なんて儚くて、すぐにチリのように吹けば飛ぶくらいものなのかもしれない。昔は終身雇用信仰がかなり強かっただろうけど、今も昔ほどではないにしろ、まだ1つの企業でという気持ちが強い人が多いと思う。

企業、職場、社会への期待値や依存度が高ければ高いほど裏切られた時に、軌道修正が難しくなることを証明してくれた話だと思う。これからの時代は二人目に紹介された方のような人生を歩む人が激増するだろう。倒産ではなくても、転職からキャリアを構成していくことになる。自分は「職場、会社へ依存しない人生」を歩むことを心がけていこうと思う。サラリーマンという形で働いていても絶対に「いつかここの職場は離れる、またはいつ離れても大丈夫な状態にする」ことを前提で働くことが今の時代では重要なんだと思う。